福澤徹三
怪談ファン必読の一冊! 幽霊や怪物よりも、はるかに恐ろしい不条理な日常
『幽』に「続・怪を訊く日々」を連載中の福澤徹三さんが、怪談系としては初の長編作品となる『壊れるもの』を上梓された。実話とフィクションのあわいに独自の文芸怪談を追求してきた鬼才の、現時点における集大成とも呼べそうな力作である。
「最初のうちは、ストレートな幽霊屋敷物をやろうかなと思っていたんですよ。でも、現代の日本家屋を舞台にしたのでは、屋敷そのものがもつ怖さって、ほとんど出せないじゃないですか。その場所で昔、惨劇が起きて、その祟りでお化けが出て……とか、ありがちなパターンにならざるをえない。これじゃダメだなと思ってね」
とはいえ、幽霊屋敷のモチーフも、作品の核心部分に残されることになった。主人公と妻が、学生時代に友人たちと見物に出かけた“ドリームハウス”と通称される廃屋。そこでの奇怪な体験が、中年になった主人公を、じわじわと時を超えて呪縛してゆくかのような展開は、実話怪談ファンにも他人事でない無気味さとスリルを感じさせることだろう。
「それこそモロに実話怪談の連続みたいな形にしようかなと思った時期もありました。でも、それだと長編ではストーリー性が保てないし、今までも短編で、たとえばサラリーマンの破綻みたいな話はしょっちゅう書いてるわけですけど(笑)、いつも主人公があっさり死んじゃうというか、話がすぐに終わってしまっていた。今回は、主人公が仕事を辞めてからも話が延々と続く。そういうふうに長いスパンで見た場合にどうなるのかを書いてみたかったんです。これまで短編では書き切れていなかった部分を書こうとしたというか……」
なるほど『壊れるもの』にあって、主人公を脅かすのは、超自然の怪異ばかりではない。むしろ物語の表層で濃密に描きだされるのは、中年サラリーマンを取りまく過酷で殺伐とした職場環境であり、そこから突如ドロップアウトを余儀なくされた男がおちいる蟻地獄さながらの不条理な状況なのだ。幽霊や怪物よりも、はるかに恐ろしいと感じる読者も多いかもしれない。
「実際はもっと酷いわけですけどね。ただまあ、当事者がこの主人公みたいに考えこまないからやっていけるんでしょうが……この『壊れるもの』どころじゃない悲惨なケースは、さまざまな職場でたくさん見ています」
ご自身はどんなサラリーマンだったのだろうか。
「デザインの仕事に就いてからは、百貨店に4年弱、プロダクションや代理店も含めると10年ぐらい勤めましたが、ずっと喧嘩ばかりしてましたね(笑)」
しかしながら、この作品の真価は、実はその先にあるのだ。こうした現実世界の不条理と、主人公が自宅の裏山で出くわす謎めいた“柵”に象徴されるような日常を超えた世界の妖しさとが次第に渾然一体となり、主人公を翻弄し呑みこんでゆく終盤の迫力は、一種壮絶なものがある。
「いろいろな捉え方ができるように、重層的な感じにはしているつもりなんですけど。“柵”は、前からやってみたかったモチーフなんですよ。吉村昭さんに『老人と柵』という怪談めいた短篇がありまして非常に印象に残っていたのと、もうひとつは“閾”としてのイメージですね。深層意識というか、フロイトがいう前意識の深部にある無意識との閾。またユングめいた部分では、門番にあたる人物がいて、老賢者は誰でシャドウは誰か、とかね、そういうアーキタイプ(元型)みたいなことで遊んだりもしてるんですよ。“メン・イン・ブラック”入ってる部分もあるし(笑)。じゃあ、そういう話なのかというと、僕自身にもよく分からないですね」
怪談ファン必読の一巻である。